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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 小林陽介(第7回)

第6回はこちら

松本平広域公園総合球技場は陸上トラックのない、サッカー専用のスタジアムだ。
『アルウィン』という愛称のそのスタジアムへ14,494人の観客が詰めかけたのは2009年10月11日、天皇杯2回戦でのことだ。

松本山雅対浦和レッズ。

ホーム側ゴール裏はいつもと大差なく緑色に染められていた。
大きく違っていたのはアウェイ側ゴール裏の風景。
普段ならば― AC長野パルセイロとのダービーマッチを除いて― 薄いグレーのコンクリート製立ち見席にアウェイサポーターの小集団がいる程度の殺風景なスタンドが、ぎっしりと埋め尽くされていた。
見慣れていたコンクリートの灰色とは違う赤いゴール裏を目にして、小林陽介はこれから古巣と対戦するのだということを改めてヒシヒシと感じていた。

「ロッカールームに荷物を置いてからグラウンドのチェックに行ったときにスタンドを見たんですけど、『あぁ、レッズはやっぱり凄いな』と思わされました。今までに見たことのないアルウィンの雰囲気でした」

小林はそう述懐する。

2003年シーズンをもってレッズを離れて以降、練習試合での対戦は経験していた。しかし、公式戦で当たるのははじめてのことだった。
「レッズをクビになったときに、『もう1度プロになる』という夢があって、もうひとつ、夢と言うほどのものじゃないかもしれないですけど、『レッズと公式戦で試合をして、勝つ』ということがあったんです。なので、『ここで公式戦での対戦が来たか』という感じでした」


13時1分、レッズボールでキックオフされた試合、松本は労を惜しまぬ守備からシンプルな攻撃を展開。
12分には、自陣右でボールを奪ってロングフィード、レッズDFライン裏へのパスにFW柿本倫明が抜け出してGK山岸範宏と1対1となり、見事に決めて先制する。
その後、より一層の攻勢に出たレッズに押し込まれる松本だったが、ゴール前に人数をかけて死守。レッズ側のシュートミスもあり、リードしたまま前半を折り返す。
後半、松本イレブンは中盤ではレッズの選手たちに複数でしつこく食らいついて楽にはプレーさせず、押し込まれれば身を挺してゴール前の壁となった。
27分には、カウンターから攻め入ってチャンスを作り、クリアミスを蹴り込んで追加点を挙げる。
2-0として以降は、さらなるカウンターのチャンスも生まれた。
35分には小林がドリブルで中央から左へ流れながらシュート。疲れの見えはじめたレッズを相手に押し込み、2分後にはゴール前にフリーで駆け上がって左からのクロスに合わせたが、小林のシュート
は惜しくも枠を外れる。
前半にペナルティエリア外から打っていた1本と合わせ、小林のシュートは3本。チーム全体の数は9。
対するレッズは20本のシュートを放ったもののゴールをこじ開けることができないまま、試合は2-0で終了となった。

「勝ちたいって気持ちはありましたけど、それ以上にいい経験でした」
あの日の試合後、小林はそう感想を述べている。
「レッズは1人1人はやっぱり上手くて、レベルが高かった。全然レッズの方が上です。ゴール前に入ってくる迫力もありました。僕らは耐えて耐えてという感じで、声掛け合いながらやっていて、レッズは声掛け合ってないわけじゃないんだろうけど、もうちょっとコミュニケーション取ってやってもいいのかなと思いました」
クラブの歴史に残り続けるであろう大金星は、素直に嬉しかった。
《公式戦でレッズに勝ちたい》という夢が叶ったことに、感慨もあった。
しかし、いつまでも喜びにひたっているわけにはいかない。
レッズ戦から6日後、松本山雅FCにとっては天皇杯よりもはるかに重要な試合が待ち受けていたのだ。

全国社会人サッカー選手権大会。

この大会で決勝戦まで駒を進めた2チームには、その後に開催される全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場権が与えられる。そして、その大会で再び決勝戦まで勝ち上がることができれば、JFLへの昇格が待っている。
「絶対にJFLに昇格しないといけない。それを最大の目標として、自分のサッカー人生を賭けてみよう」
そんな「並々ならぬ覚悟を持って」、小林はこの2009年から松本の一員になっていた。
しかし、北信越1部リーグではライバルチームとの直接対決でことごとく勝ち星を挙げられず後塵を拝する結果となり、成績は4位。
JFL昇格を実現するためには、全国社会人サッカー選手権大会と、その後につづく地域サッカーリーグ決勝大会を勝ち上がるしかなかった。

レッズ戦から6日後の10月17日、千葉県市原市にて社会人サッカー選手権大会はスタート。
5勝すれば優勝というトーナメントだったが、その5試合を5日連続でこなすという過酷なものだった。
1回戦を4―0、2回戦を2―1で突破した彼らは3連戦目となる準々決勝をPK戦の末に勝ち上がり、準決勝でAC長野パルセイロと激突。小林のゴールもあって3―1で長野を下して決勝大会への出場権を獲得すると、勢いに乗ってツエーゲン金沢とのファイナルも制した。

地域サッカーリーグ決勝大会が開かれたのは、それからひと月あまりが経った11月下旬。
まずは4グループに分かれての1次ラウンド。福島・富山・鳥取・高知の各県でグループごとのリーグ戦が行なわれた。
小林たち松本山雅は鳥取へと移動、3日間で3試合をこなして3戦全勝。小林も2ゴールを記録し、1位で予選リーグを突破する。
決勝ラウンドは12月4日から。
開催場所はありがたいことに彼らのホーム『アルウィン』だった。
決勝ラウンドの方式は各グループを1位通過した4チームの総当たり戦。初戦こそ金沢にPK戦の末に敗れはしたものの勝ち点1を獲得(勝者が勝ち点2)。翌日の2試合目を1―0で制すると、12月6日、最後の3戦目を迎える。
対戦相手は日立栃木ウーヴァFC。
アルウイlンに詰めかけた観客数は10,965。
天皇杯でのレッズ戦よりも約3500人少ない。その観客数の差は、あの日松本まで足を運んだレッズサポーターの数を差し引いて考えれば「わずかに3500人」と評していいものだった。

13時20分、晴れ空の下、試合がはじまる。
松本は前半14分に先制を許したものの、地元の大声援を受けて8分後には同点に。
そして43分には逆転に成功する。
背番号『10』柿本の右からの折り返しをゴール正面でプッシュしたのは、DFの背後を衝いてフリーで入り込んでいた『11』番、小林陽介だった。
試合は、このリードを守り切って松本が勝利。
優勝でJFL昇格を成し遂げる。

小林にとっては、2度目の昇格経験だ。
1度目は熊本でJFLからJ2へ。
そして、この松本での、地域リーグからJFLへの昇格。
カテゴリーこそ熊本での経験の方が上だが、喜びや充実度は松本での昇格の方が大きかった。
違いを生んでいるものは、自身が感じることのできるチームへの貢献度。
そして何より――。
「試合に出て、FWとして点を取れた。しかも大事な試合で点が取れた。それが一番大きいのかもしれないです」
小林はそう振り返る。
FWとしての責任を果たしたという達成感が強くあった。

小林の決勝ゴールから3日後の2009年12月9日。
日本フットボールリーグ評議員会が開かれ、松本山雅FCのJFL加盟は正式に承認された。

(最終回へつづく)


この原稿はメールマガジン第16号(2013年11月14日配信)から転載したものです。
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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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