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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く

             vol.1 千島徹(第3回)

                 (第2回はこちら)


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プロサッカーは、今季限り――。
そう心に決め、2009年1月15日、チームの始動を迎える。2月になると、愛媛から鹿児島へと移動し、約2週間のキャンプに入った。

この時期のキャンプは体力づくりがメインとなり、いわゆる『素走り』が毎日のように課される。
千島は素走りが嫌いだった。
だが、このときばかりは違っていた。

《この素走りの苦しみも、もう今年限り。来年になったら、味わいたくても味わえないんだ・・・》

そう思うと、いつまでも走っていけそうな気になった。

プレッシャーから解放されてもいた。
来季の契約を勝ちとれるか否かという怯えから自由になり、その結果、少しずつだが思うようなプレーができる場面が増えていったのだ。

3月7日にJ2は開幕。
千島がシーズン初のベンチ入りを果たすのは5月2日、ホームでのヴァンフォーレ甲府戦。
その試合で、レッズユースの後輩にあたる大山俊輔と交代でピッチへと入った。
チームは、千島の投入後に1点を加え、2-0で勝利する。
必要以上に気負うこともなく、純粋にサッカーを楽しむことができた。出場時間は後半30分からの15分あまりだったが、もっと長い時間、サッカーを楽しんでいたように千島には感じられた。

その後10月末日まで35試合が行なわれ、千島は半分近いゲームに絡み、得点も記録した。
そして11月 ―。
どのクラブもが来季を見据え、現有戦力の整理に着手(つまり、今季限りの契約満了選手を決定)する時期を迎える。
千島は、チームにあれこれと気を遣わせてしまうのは申し訳ないと考え、先に自分から引退の意思を伝えることにした。
イヴィッツァ・バルバリッチ監督に練習後、時間を取ってもらう。
来季、バルバリッチが続投するか否かは知らなかったが、《まずは監督に、最初に言うべきだよな》と考えたからだ。

「引退するのはやめろ!」

それが、通訳をはさんで千島の思いを聞いたバルバリッチの第一声だった。

「いや、これはシーズンのはじめから決めていたことで、この1、2ヶ月で決めたことではないんです」

千島の言葉に、監督はしばらく押し黙る。
納得してくれたかなと思った矢先、こう切り出された。

「では、1週間だけでいいから、私に時間をくれないか。引退は一度白紙に戻して、1週間、私の練習に付いてきてくれ」

そう言われたところで、引退を撤回する気持ちはさらさらない。
しかし、《監督にここまで言わせたのだから・・・》と、その場は彼の顔を立て、「わかりました。1週間、やってみます」と応えて、監督の元を辞した。

監督の熱意は嬉しい。
だが、困惑の方がより強かった。
シーズン前に引退を決め、折りに触れてその気持ちを確認してきたが、今日まで変わってはいない。
それどころか、早く発表してスッキリしたいとの思いが、千島の中では日に日に強まっていった。

バルバリッチとの約束は1週間だったが、5日目にして千島は再び監督の元を訪れる。

「すみません、やっぱり心変わりしそうにないので、クラブから引退することを発表してもらいたいんですけど・・・」

おずおずと切り出した千島に、熱血漢である監督は「じゃあ、あと3日だけくれ!」と退かず、千島は苦笑しながら「・・・わかりました」と応じて、彼の元から歩み去るしかなかった。

さらに3日後 ―。
練習が終わり、千島は監督の元へと出向いた。監督も彼の姿を視認。ふたりは互いに複雑な笑みを浮かべ合った。
バルバリッチは少しだけ間を置き、切り出した。

「・・・実は、これはまだ発表されていないのだが、来年も私はエヒメの指揮を執ることになった。トールのことは、来季も必要な戦力として考えている。それでも、ダメか?」

千島の胸に衝撃が走る。
これまで監督が自分を慰留してくれていたのは、単に『まだプレーできるだろ?』と考えてのことだと、千島は思っていた。
しかし、監督は自分が予想していた以上に『千島徹』というサッカー選手を評価してくれていたのだ。
素直に嬉しかった。だが、その喜びだけで千島の中で気持ちが変わることははなかった。

「・・・すみません・・・」

千島のつぶやきに、監督が大きなため息をつく。次いで、「わかった」との言葉と共に大きな右手が差し出される。
応じると、力強く握りかえされた。

愛媛FCのホームページ上で千島徹の引退が発表されたのは、2009年11月16日だった。

                     *

愛媛FCのHP上で引退が公表される数日前から、千島はかつてのチームメイトやお世話になった人々へ立て続けに電話をかけ、メールを打った。

「ご無沙汰しています。実は、ご報告があります―」

自分の引退を彼らがどこかから耳にする前に、自身の口から、手から伝えたかったのだ。

それから数日の間、埼玉にある浦和レッズのクラブハウスでは、『徹の引退』がちょっとしたニュースになっていた。

「引退するって最初に聞いたときの率直な感想は、『もうちょっとできるんじゃないのか?』ということ」

記者に千島の引退について問われ、レッズでの寮生活時代、隣の部屋(正確には隣の隣で、間は空き部屋だった)に住んでいた『同期』はそう口にした。
鈴木啓太は続ける。
「でも、きっと徹本人の感覚は違うんだろうなと思う。徹もケガに見舞われたりして、自分の中で思うところは色々あったんだろうなと思う
し・・・でもやっぱり、若干の寂しさはあるなあ」

鈴木啓太と千島徹。
彼らにとって、レッズに同期加入した選手のうちで、年齢も同じなのはお互いだけだった。だから離れていても、常に心のどこかで気にしてしまう存在だった。
タイミングとしては、そんな彼らがプロサッカーの世界に入って10度目のシーズンがまもなく終わろうとしているときだった。

「僕自身は加入したときに、サッカー選手として10年できれば、ということを考えてました。そういう意味では、今シーズンは節目の年だと思ってた。同期としては、『そうか、アイツは
区切りをつけたんだな』という感じですね」

同期の決断に、啓太は寂しさを感じていた。
同時に、その決断に至る過程を尊重する気持ちも強かった。

一方で、こと千島徹という仲間に関していえば、彼が踏み出すであろう『セカンドステージ』への期待も大きかった。

「寂しさもあるけど、でも、次のステージに入る決断をしたんだなという感慨の方が大きいですね。彼の人間性であったり、持っているものを考えると、凄く楽しみに思えてしょうがな
い。辞めるヤツに言うことじゃないかもしれないけど、アイツの場合は、これからが凄く楽しみです」

(第4回はこちら)

この原稿はメールマガジン第3号からの再掲載となります。
その他のコンテンツは

●大原ノートから 『 矢島慎也が背負うものは 』


●〈隔号連載〉『WARRIORS IN RED ― リライト』& こぼれ話

        『 宇賀神友弥 プロへの道程 』

●〈不定期連載 〉 『世代交代 ― 79年組と調子乗り世代』番外編

          『 坪井慶介の意外な(?)一面 』

などです。

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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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