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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 千島徹

               (第5回最終回)
               (第4回はこちら)


週6日働くうち、目指していたセカンドキャリアであるファッションの世界に携わるのは1日だけ。残る5日間はサッカーのコーチ業で生計を立てる。
そんな生活が引退翌年の2010年5月からはじまった。
古い知り合いからこう言われたこともある。
「千島君がアパレルでサービスを提供するよりも、サッカーの技術を提供する方が、世間に対しての貢献度は高いと思うよ」
頭では理解できた。だが、すぐに心には響かなかった。
心の中心には、アパレル業界での夢があった。

しかし、数カ月ほどすると、気持ちの天秤は少しずつファッションからサッカーへと傾きだしていった。
セレクトショップで働く前日にも、翌日にも、コーチとして千島はフィールドに立っていた。
そこが天然芝ではなく、人工芝や土のグラウンドだったとしても、サッカーのフィールドは居心地がよかった。

一方で店に立てば、お客さんの出入りに合わせて「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」と声を出す。そんな自分を客観視する『もうひとりの自分』が生まれつつもあった。

サッカーとアパレル業界での仕事を並行してこなすことは、図らずも、千島に両者をくらべさせることになっていたのだ。

「千島君がアパレルでサービスを提供するよりも、サッカーの技術を提供する方が、世間に対しての貢献度は高いと思うよ」

知り合いから向けられた言葉が、千島の中でどんどん大きくなっていった。

千島は、その2010年いっぱいで、セレクトショップでのアルバイトに区切りを付けた。
夢を諦めたわけではない。
いったん『棚上げ』にしたのだ。
まずはサッカーで足元を固めることに集中しよう、そう彼は考えていた。
ブランド立ち上げを常に頭の隅には置きながらも、まずは指導者としての地歩を固めることに千島は注力していった。C級だが、ライセンスも取得した。

かつて引退の決意を伝えた際、バルバリッチ監督からこんなことを言われている。
『洋服を作ることは40歳になってもできるだろ?サッカーは今しかできないじゃないか』
今の千島はこう語る。
「あのときの自分の心の中には、監督が言ってくれた言葉が入って来なかったんですけど、今はわかります・・・」
とはいえ、選手時代を憧憬の眼差しで振り返ってばかりいるわけではない。
現在では指導者という仕事に対して、選手時代に味わっていた充実感に近いものを抱くようになっている。
転機は昨2012年の夏、引退から2年8ヶ月ほど経た頃にやってきた。
少年団時代の監督から、知り合いのフットサルコートのオーナーが子どもを対象としたサッカー教室のコーチを探しているのだが、やってみないかという話を持ちかけられたのだ。
さらにその1週間ほど後、かつてのチームメイトから電話をもらう。
「徹、今何してんの?」
電話の主は福永泰だった。
福永には、レッズからベガルタ仙台へ移籍して引退した後、フットサル界で指導者として過ごした時期があった。そこで知り合った元フットサル日本代表選手が、フットサル教室とは別にサッカー教室を開くため、現役を退いたJリーガーを探しているとのことだった。

実は、話の出どころこそ違えこのオファーは同一のものだった。

場所は国道254号線沿い、川越市にあるフットサル場『FUTSAL CLUBE JOGA』。
そこでは水曜日と金曜日の週2回、フットサル日本代表のキャプテンを務めていた市原誉昭(たかあき)がフットサル教室を開いていた。
そして、市原とフットサル場のオーナーは、「フットサルで要求されるアイデアや迅速な判断力はサッカーにも活かせるはず」と考え、その理念に基づいてサッカー教室を担当できるような人材を探していたのだ。
ふたりが語るその理念は、千島にも魅力的なものに聞こえた。
ブラジル代表のネイマールがフットサル出身のサッカー選手だという事実を知ったことも、彼らの理念への共鳴に拍車をかけた―。

2012年9月、『FUTSAL CLUBE JOGA』にて、千島をコーチに迎えたサッカー教室の無料体験がスタート。
ひと月後の10月、正式にスクールが開校した。



現在、千島の心の中には2本の柱が立っている。
大黒柱と呼ぶべきものがサッカー。
それを補助する支柱として、ブランド立ち上げという夢がある。
「でも、やりたいブランドのイメージも、現役の頃に思い描いていたものからは多少変わってますかね」と千島。
「現役のときは、広く洋服全般という感じだったんですけど、今はサッカーテイストのものも興味があるんです。そのこだわりは、かなり強いですね」
中学時代からの親友とブランドを立ち上げるため、週一回、ファミリーレストランで落ち合ってのミーティングも欠かしていない。

「今は、指導者とデザイナーの両方やりたいんです」

そう口にしてから、千島は『指導者』の部分に注釈を加える。
「指導者というよりも、『サッカー人間』でいたいんですよね」
たとえばコーチとして子どもたちと接するときも、いかにも指導者然とした格好ではなく、ファッション性も考えた上でウェアを着こなす。
そこには、以前から変わらない千島徹らしいこだわりがある。

「どこかでいつも、元プロサッカー選手だったときの部分を持っていたい。現役感みたいなものを持ち続けていたいんです。もちろん、40歳50歳になったら難しいかもしれないですけど、少なくともあと5年ぐらいは現役感を出したいんですよ。だから、身体も鍛えておきたいし、雰囲気も良い意味で落ち着いてない部分も残しておきたいというか。
別にチャラチャラしていたいってわけではないんです。ただ、子どもたちが『現役の選手に教えてもらっているんじゃないか』と錯覚を起こすような指導者になりたいんですよ、オレ。
たとえば、教えてるとき、常にパッと見本を見せられるような。だけどその見本が、お腹が出て足がもつれてたりしたら、サマにならないじゃないですか。外見も含めて、現役の選手が手本を示しているような感じでやってあげたいんです」

千島の熱弁は続く。

「勘違いしてるって言われてもいいんですけど、引退した今も未だに、子どもには夢を与えてあげたいんです。自分を通して、『サッカー選手ってこんなにカッコイイんだ、こんなに上手いんだ』って思っていてもらいたい。もちろんいちばん大事なことは、子どもたちに技術や動き方を伝えるときに、その技術で大切なことは何か、その動きのポイントとなるのは何かをしっかりと伝えること。それをきちっとやった上でのことですけどね」

文字にしてしまえば、彼の発言を青臭いものと感じる人もいるかもしれない。
だが、このときの千島の表情には照れくささの色は微塵もなく、ただただ情熱だけがあった。


引退を決意したあのとき、彼の胸にあったのは、親友と自分たちのブランドを立ち上げることだった。
その夢は、今も健在だ。
そして――。
あのときにはなかった新たな夢が今、彼の胸には大きな存在感をもって息づいている。
「自分が生まれ育ったこの川越から、埼玉から、サッカーとフットサルを融合した指導の中から、将来浦和レッズや愛媛FCでプレーするような選手を育てたいんです」
2009シーズン終了をもって引退した千島徹は、紆余曲折を経て新たな居場所を手にし、夢の途上に立っている。

(了)

IMG_5872s2s.jpg





●千島徹・市原誉昭両氏が教える『Paz Jr.Football Academy』様のブログはこちらから
http://ameblo.jp/pazjrfootball/


●会場となる『FUTSAL CLUBE JOGA』様のサイトはこちらから
http://www.futsal-joga.com/



なお、この原稿はメールマガジン第5号(2013年8月29日配信)から転載したものです。
他のコンテンツは

●大原ノートから 『梅崎司の現在、山田直輝の未来』


●『WARRIORS IN RED ― リライト』& こぼれ話 原口元気

などです。


 




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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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