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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 小林陽介 第1回

大原サッカー場から車で数分の距離にある、浦和レッズの選手寮『吾亦紅』。
2003年12月9日、小林陽介は7時半を少し過ぎた頃、寮の自室で起床した。
その日使うスパイクやトレーニングウェア、タオルなどは前夜のうちにバッグに詰め込んであった。黒いバッグの表面には、「33」という数字が目立つ大きさで白くプリントされている。
そのバッグは前年の2002年、彼がレッズでの1年目にチームから支給されたものだ。
部屋にはもうひとつ、そのシーズンの背番号である「24」がプリントされた同型のバッグもあった。
あえて、彼は「33」の方を持っていくことにした――。

1年目の背番号が決まったとき、小林は《33って数字に不思議な縁があるな》と感じていた。
小学校1年のときに生まれて初めて入ったサッカーチームで付けた背番号と同じだったからだ。以来、彼は「33」をラッキーナンバーとして捉えるようになっていた。

『33』のバッグを肩から提げて部屋を出ると、洗面所にいた加藤順大と中川直樹に声をかけられた。
「陽介君、がんばってね」
ふたりとも、小林にとってはユース時代の後輩にあたる。君付けで呼ぶのも敬語を使わないのも、ユースチームの雰囲気で、それがプロになってからも継続されていた。
8時に寮を出発した彼が車で向かった先は味の素スタジアム。
Jリーグ合同トライアウトに参加するためだった。


小林が翌シーズンの契約がないことを告げられたのは、トライアウトの2週間あまり前。リーグ最終節の5日前2003年11月24日。埼玉スタジアム第3グラウンドでの練習後に強化部スタッフから声をかけられ、スタジアム内の一室で知らされた。
悲しさ、悔しさ、寂しさ。
ネガティブな感情ばかりが湧いてきて、今後の身の振り方に思いを巡らせる余裕はなかった。わかっていたのは、まだサッカーを諦めることはできそうにもない、ということくらいだった。
翌日の夜、何とか気持ちの整理がついた。
《トライアウトに賭けよう。最後まで悪あがきしてやろう》
友人たちに自分に来年の契約がないこと、そして今の自分の決心を伝えるメールを送った。



朝8時に寮を出発し、10時には味の素スタジアムに到着。途中で寄ったコンビニエンスストアで買ったおにぎりと焼きそばを、駐車場に停めた車の中で食べ、受付がはじまる11時まで時間を潰した。
味の素スタジアム内で参加選手へのオリエンテーションがスタートしたのは12時。
参加総数は83名。AからHまでの8チームに分けられ、A対B、C対D、E対F、G対Hの4試合が行なわれる。
オリエンテーションが行われた会議室のような部屋の前方にはホワイトボードが置かれてあり、そこには『参加選手の皆様へ』と題して、『A、D、E、Fチームにポジションの空きがあります』と大きく記されてあった。

小林が割り振られたのはDチーム。
メンバー表の中に、『城定信次』の4文字を見つけ、少しホッとする。
城定は前年の2002シーズン後半、出場機会を求めてJ2アルビレックス新潟へと期限付き移籍。2003シーズンは浦和へ復帰したものの、出番はないまま。小林と同様に契約満了を言い渡され、このトライアウトに参加していた。
4-4-2システムで2トップを組む相棒となるのは、湘南ベルマーレのサントス。
《(レッズの)エメルソンみたいに、自分で行ってあんまりパスくれないタイプだったら、ちょっと嫌だな》
そんな不安が頭の隅をよぎりもしたが、それを振り払うように《とにかく、点を取ろう。自分を信じて、思い切って行こう》と心の中で念じ続けた。

小林の出番となるC対Dのゲームは2試合目。控え室でストレッチを済ませた後、A対Bの第1試合がキックオフされた13時15分には、スタジアムに隣接する試合会場『アミノバイタルフィールド』のゴール裏スペースへと向かいウォーミングアップをはじめる。反対側のゴール裏では、対戦相手となるCチームの選手たちが、同じように身体を動かしていた。
クリーム色のレッズの練習着の上から、『36』と白くプリントされた青いビブスを着け、小林はランニング、ショートパス、ダッシュといつもの手順を踏んでいく。そうやって身体を温めながら、頭の中では、事前に紙に書き出しておいた注意事項を何度も思い返し、自分に言い聞かせていた。

『ボールに対し一歩でも寄れ』
『トラップは足元に止めないで、動きながら』
『コーチング』
『First thinkingは裏に出る』

そのほとんどは、小林のレッズでのプロ2年間を指揮していたハンス・オフトから口酸っぱく言われ続けてきたことだった。

14時10分、C対Dの試合がはじまる。
Dチームはキックオフを取り、小林は湘南のサントスと共にセンターサークルに入った。
視察に訪れているJ1、J2、JFLの各クラブ関係者は100名に近い。
グラウンドには陽光が降り注いでいたが、少しだけ風が強かった。
試合時間は35分。
それが、小林に与えられた『次』を探すための時間だった。

(第2回はこちら)

この原稿はメールマガジン第7号(2013年9月12日配信)から転載したものです。
他のコンテンツは

●大原ノートから 『GKのポジション争い』

●WARRIORS IN RED ― リライト 田中達也
        
●こぼれ話 田中達也と長谷部誠

などです。

なお、『人生は上々だ 小林陽介 第2回』は本日配信したメールマガジン最新号に掲載しております。



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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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