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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 小林陽介(第3回)

(第2回はこちら)


トライアウトで2ゴールを記録した小林陽介には、ふたつのクラブが興味を示していた。
J2モンテディオ山形とJFLの横河武蔵野FCだ。

できるならば、Jリーグチームへ。
当然、そう思っていた。
だから、《とりあえず、練習には参加してみよう》程度の気持ちで、小林は横河の練習グラウンドへと車で向かった。
埼玉県内で行なわれたモンテディオのセレクションを受けた翌日、12月11日のことだ。

東京都武蔵野市にある横河電機本社。道路を挟んで向かい側に、練習用のサッカー場兼ラグビー場はあった。5分も歩けばJR三鷹駅に至る場所だ。近隣には、オフィスや飲食店・マンションなどが建ち並んでいる。駅に近いエリアに特有の雑多な街並みの中で、ライトに照らし出されたそのグラウンドは「忽然」と現れた感があった。両ゴール裏、背の高い防球ネットに隣接する道路には、三鷹駅から吐き出されてきたであろう人たちの家路を急ぐ姿が絶えない。
土のグラウンドは、その日降っていた雨のためドロドロだった。グラウンド脇には更衣室と筋トレルームも併設されていたが、大原サッカー場の設備にくらべると、どうしても全てが一段ずつグレードが下がるように、小林の目には映った。
体のケアをしてくれるマッサーもいないという。

横河を率いる監督・古矢武士は33歳とまだ若かった。その古矢から、トライアウトでの自身への評価を聞かされた。
古矢はゴール前での自分の動き、常に裏を狙う姿勢を買ってくれていた。素直に嬉しかった。
チーム体制についても説明を受けた。
横河武蔵野FCの母体は横河電機サッカー部で、部員はみな横河電機(株)の社員だった。
しかし2003年からクラブチームへと運営体制が変更され、社員以外の人間も選手として受け入れるようになっていた。
小林が練習に参加した時点で、所属選手の半数以上は横河電機の社員だったが、他の選手たちはそれぞれが別の仕事をして生活を維持していた。そのため、チーム練習は各自が仕事を終えてから参加できる19時スタートに設定されていた。

小林に提示されたオファーは、あくまで選手としてのものであり、横河電機の社員にという待遇ではなかった。プレーするだけで生活が保証されるわけではなく、自身で別に仕事を探さなくてはなら
ない。

「他からオファーがあったら、早目に言ってくれな。ウチは最終手段でいいから」

古矢の、自分たちが提示する条件を卑下するような言葉に、小林は曖昧な相槌を打つことしかできなかった。

小林にとって最も重要だったのは、競技レベルでサッカーを続けることだった。
理想はJリーグクラブでのプレー。
しかし、もしそれが望めないのであれば、JFLは次善の選択と言えた。
金銭面の不安やハードの不備など、気になる点はあった。しかし、それ以上に小林が重きを置いたのは、一緒にプレーすることになるかもしれない選手たちのことだった。
《結構、なあなあの雰囲気でサッカーしてるのかな。もしそうなら、ちょっとイヤだな……》
そう思っていたのだ。
そして、午後7時にはじまった練習が終わる頃には、《できるなら、ここではやりたくないなぁ》という感想を、小林は心の奥底に抱いていた。

あまり良いとは言えない第一印象が変わるのは、翌日、練習参加2日目のことだ。
紅白戦をする段になった途端、選手たちの顔つきが変わったように感じられたのだ。そして、実際にゲームがはじまると、まずいプレーには選手間で意見が飛び交った。攻撃でも守備でも、より良いプレーを追究しようとする姿勢が随所にうかがえた。
サッカーに対する熱さ、真摯さが、土のグラウンド上にあった。
それは、小林が予想していた以上のものだった。

《ここでやるのも、いいかもな……》

そんな思いが、芽生えはじめた瞬間だった。



年も押し迫った12月27日、小林は浦和レッズのクラブ事務所へ出向いた。
お世話になった人たちへ最後の挨拶をするためだ。

まだ移籍先は決定していなかった。
山形のセレクションでは合格を勝ち取れず、横河からも正式なオファーは届いていない。年明け1月8日に予定されているシーズン2度目の合同トライアウトに再び参加し、また別のオファーが来るのを
待つしかないかと考えていた。
そのことを強化部長の中村修三に話すと、彼はその場ですぐに横河の強化担当者に電話を入れてくれた。
数分後、電話を終えた中村は傍らで待つ小林に告げた。
「横河、OKだって」

ハード面では恵まれているとは言えないチームだ。練習や試合の時間を確保できるような職場を探す困難も気になりはした。
しかし、横河の監督は自分を評価してくれていた。選手たちが持つサッカーへの情熱にも、あのときたしかに触れていた。

両親にも、友人にも、誰にも相談することなく、20歳の小林は横河でプレーすることを決意した。

(第4回へつづく)

この原稿はメールマガジン第9号(2013年9月26日配信)から転載したものです。
他のコンテンツは

●大原ノートから 『ロブソン・ポンテと梅崎司


●WARRIORS IN RED ― リライト & こぼれ話 加藤順大
        


などです。

なお、『人生は上々だ 小林陽介 第4回』は10月3日配信のメールマガジン最新号に掲載しております。



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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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