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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 小林陽介(第4回)

(第3回はこちら)

2013年現在、小林は東京都武蔵野市吉祥寺にある酒屋で働きながら、JFLでのプレーを続けている。
出勤は午前9時。まずは遠方の取引先からFAXで注文があった商品の梱包を行ない、宅急便で送る準備を整える。
それから店の掃除を行なって、10時に開店。
店を開けて以降は、吉祥寺界隈の居酒屋から注文があった品をチェックする。伝票と付き合わせながら倉庫から酒瓶を取り出し、配送用の軽ワゴン車に載せていく。注文分を積み終えたら車に乗り込み、配達へと向かう。届けた先では、カラになった酒瓶や業務用の生ビール樽などを回収してくるのも小林の仕事だ。
1時間あまりを掛けて配達を終えて店に戻った頃には、また新たな注文が舞い込んでいる。再び伝票と付き合わせての品出しから配送と、同じ手順を繰り返していく。

P1280607s.jpg


「サザエさんに出てくる三河屋さん」

チームメイトに仕事内容を聞かれたときには、そう答えることに小林はしている。
それが最も手っ取り早く理解してもらえるからだ。
18時に店を上がると、自転車で6、7分の距離にある横河武蔵野FCの練習場へと向かい、19時からのトレーニングに備える。
仕事は月・水・木・金曜日の週4日。
一方、チームのスケジュールは月~金で練習をこなし、土曜日か日曜日に公式戦を行なうことがほとんどだ。そして大抵の場合、月曜日がオフとなる。
しかし、その日の小林には酒屋での仕事が待っている。
本当に何も予定がない純然たるオフと言える日は、1年のうちでも数えるほどしかない。
そんなふうにして過ごす横河でのシーズンも、今季で6度目となる。
浦和レッズから契約満了を言い渡された直後の2004年からの3シーズン、そして2011年からの3シーズン、小林は横河の青と黄色のユニフォームを着て戦ってきている。
現在の酒屋でのアルバイトは、レッズを離れて3シーズン目、2006年にはじめてお世話になった。現在はいわば「出戻り」の形だったが、店主は快く迎えてくれた。


酒屋で働きはじめる以前、小林はいくつかの職を転々としている。
最初についた仕事は、実家のある板橋区のラーメン屋でのアルバイト。求人情報誌で見つけたものだった。
月曜日から金曜日までの週5日、10時から17時まで、皿洗いにはじまり麺を茹でる係なども担当。アルバイト後、電車を乗り継いで三鷹駅まで行き、そこから歩いてグラウンドへと通っていた。
このラーメン店には1年1ヶ月ほど務めたのだが、練習場へと向かう際に乗り換えが2回必要だったため、よりアクセスの良い勤務先を探して辞することとした。
その後、テレフォンアポインターや工場での日雇い仕事などを挟み、新宿にあるイタリアンレストランでホール係の職を見つける。

アルバイトをしながらサッカーを続けるのは、苦ではなかったのか ―。
小林に尋ねると、「苦でも何でもなかったです」との答が返ってきた。
同期加入のプロ選手たちがアルバイトに精を出す必要もなく、サッカーに集中できる環境にあったことを、羨むこともなかったそうだ。
「バイトとかしたことなかったから、知らない世界というか、新鮮で楽しかったですよ」
小林はそう続けた。
何より、彼には明確な目標があった。

「もう一度プロ選手になって、サッカーをしたかった。レッズでは結局はデビューできないまま終わってしまっていたので、ひたすらそこを目指して必死でやってました。だから、辛いとか思う暇もなかったという感じですね」

横河武蔵野FCでは、遠征費はクラブが負担してくれたものの、出場給や勝利給をはじめとしてサッカーをプレーすることで貰えるお金はなかった。その意味で、純然たるアマチュアだったのだ。

ky2004ss.jpg


当然と言うべきか、JリーグとJFLにはレベルの差があった。
「サテライトでギリギリだった自分が、JFLでは『余裕をもって』まではいかないですけど、普通にプレーできた。そういう差はありました」
小林はそう振り返る。
しかし、そういった環境下でも、レッズでの2年間では圧倒的に不足していた試合経験を着実に積むことで、小林は少しずつ力を伸ばしていく。
監督の古矢は、小林が加入したシーズンの開幕戦から彼を先発で起用してくれたのだ。

「その中で、どうすればもう一度プロになれるかを考えたら、FWなので結果を出すしかない。そこだけにフォーカスしていましたね」

再びプロになるために自身の結果にこだわることは、ある意味では、小林のわがままとも言えた。
だが、幸いにもそれを許容してくれる環境が横河にはあったと、彼は感謝の念を込めて語る。
たとえば、4-4-2システムで2トップを組んだ相棒の村山浩史。
後にサポーターから『ミスター武蔵野』と呼ばれる存在となる村山は、レッズユースの先輩でもあった。村山は4歳上のため一緒にプレーしたことこそなかったが、村山のひとつ下の学年に小林の兄が
いたこともあり、昔から名前だけは知っている選手でもあった。
その村山は、レッズユースから青山学院大へと進み、小林がユースからトップチームへ昇格した2002年に横河電機の社員となり、横河武蔵野FCの前身たるサッカー部の一員となっていた。

横河での小林は、元Jリーガーとはいえ新人であることに変わりはなく、また、年齢もチーム内で下から2番目という若さだった。
そんな小林に対し、チームのエース格である村山をはじめ、先輩選手たちは一様に優しかった。

「ヨースケの自由にやっていいから」

試合前に彼らが掛けてくれるその言葉は、まだまだ経験の浅い小林の心をずいぶんとリラックスさせてくれるものだった。

試合の際のメンタル面でのサポート以外にも、小林がチームメイトの助力を感じた場面がある。
彼らは練習後毎日のようにシュート練習に付き合ってくれた。
GKの井上敦史もそのひとり。
コンサドーレ札幌から契約満了を言い渡された井上は、小林と同じく2003シーズン終了後のトライアウトを受けた末、横河の一員となっていた。6歳年上の彼は浦和市立高出身という近しさもあってか、小林のシュート練習の相手をいつでも務めてくれた。
もっとも、練習後に小林が「シュート練習やりましょうよ」と言い出すまでもなく、「やろうぜ!」と誰かが口にする雰囲気が、当たり前のものとしてチームにはあった。
19時にスタートするチーム練習は21時少し前に終わる。それからグラウンドの照明が落ちる21時20分まで、小林は仲間と共にシュート練習に没頭した。

そのグラウンド上には、練習参加したあの日に小林が感じたのと同じものが、彼に横河加入を決意させたサッカーへの情熱が、たしかに存在していた。
2004年、横河での1シーズン目。
前・後期それぞれ15ゲームずつ、全30試合のリーグ戦が行なわれ、小林は29試合に出場。12ゴールを記録した。

(第5回へつづく)



※写真1枚目は今年9月、筆者が撮影したものです。
※写真2枚目は2004年3月に埼玉スタジアムで行なわれた浦和レッズとの練習試合後のものを、サポーターの方からご提供いただきました。


※この原稿はメールマガジン第9号(2013年10月3日配信)から転載したものです。
他のコンテンツは

●大原ノートから 『関口訓充が見せた光明』

●あなたの『?』に答えます 『濱田水輝の期限付き移籍について』
        
●『記憶に残るあの一言』

などです。
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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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