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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く

                 vol.1 千島徹(第1回)


IMG_5886.jpg



埼玉県川越市、国道254号線沿いにある屋根付きのフットサルコート。
その駐車場には、千島徹の愛車である紺色のピックアップトラックがずいぶんと前から駐められていた。
かつての千島は、どちらかと言えば、時間にルーズなタイプだった。その彼が担当するサッカースクールがはじまるまで、まだ50分近い時間がある。
自宅からの所要時間の計算をミスしたわけではない。車で15分強の実家から、彼は今通っているのだ。

「今はこのスクールが本当に充実してて、もう前の晩からここに来たくて仕方ないんですよ!」

そう口にして浮かべる笑みは快活そのもの。
幼稚園児から小学校6年生までを対象としたサッカースクールは月・火・木曜の週3回。それ以外に水・金曜日のフットサルスクールでもコートに立っている。

「早く来たときは、車の中で、タブレットを使ってサッカーの動画を見てるんです。最近よく見るのはネイマールやロビーニョのプレー」

そのタブレットも、サッカーの動画鑑賞を主目的に購入したものだという。

「オレ、選手でいたときよりも今の方が、サッカー好きだと思います。サッカーをもっともっと追究したいという気持ちが強いんです。もし今の気持ちのままで現役に戻ることができたら、チーム練習が終わった後に毎日残って1時間ぐらいは練習してると思います。そしたら、もうちょっとは成功したのかもしれないっすよね」

そう言って、苦笑いしてみせた――。

彼に会いに行ったのは今年6月の半ば。
梅雨どき特有の蒸し暑さの中にあっても、千島は頭に被った黒いニットキャップを外さない。ファッションへのこだわりは健在で、えり足の左右だけが長い独特のヘアスタイルも、キャリア終盤の頃と変わりなかった。

「今の生活は今の生活ですごく充実してるんです。でも、引退してしまったことに関しては、正直、めっちゃ後悔するときもあります」

そうひと息に口にし、しばらく押し黙った。



千島がレッズユースからトップチームに昇格したのは2000年。レッズがJ2で戦うことになるシーズンだった。
同期は鈴木啓太。千島が30番を、啓太が31番を付けた。
1年目の4月にはナビスコカップに途中出場してプロデビュー。
しかし、リーグ戦のピッチを踏むまでには、それから2年5ヶ月も待たねばならなかった。
リーグデビューを飾ったアウェイでのジュビロ磐田戦では、後半途中から出場して早々、激しいフォアチェックから鈴木秀人に激突。まもなく警告を受けてもいる。

千島がリーグデビューを果たした2002シーズンから指揮を執りはじめたのはハンス・オフト。
彼は攻撃のオプションとして千島を育てようとしていた。
少なくとも千島本人は、「監督から目をかけてもらっている」との感覚を日々の練習で抱きながら、プレーしていた。

翌03年には、ベンチ入りの回数は飛躍的に増え、出場試合の数も少しずつだが重ねていく。
8月のナビスコカップ準々決勝・対FC東京戦では、終了間際に貴重な同点ゴールを記録。これは千島自身の初ゴールであると同時に、レッズユース出身選手がはじめて挙げた得点でもあった。

しかし、今も千島が「恩師」と評するオフトが去ると、チャンスは激減。
ケガも重なってベンチ入りからも遠ざかり、2006年6月には愛媛FCへと完全移籍。2009年シーズンの終了をもって、現役生活に終止符を打った。

引退を決めたのは、愛媛から契約満了を言い渡されたからではない。
むしろ逆で、当時の指揮官は、千島を翌年の貴重な戦力として考えていたほどだ。

彼はなぜ、スパイクを脱ぐ決意をしたのか――。

実際のところ、彼が引退の決断を下したのはずいぶんと早い時期だ。
前年の08シーズンが終了して間もない頃には、翌年を「最後のシーズン」と心に決めていた。

(第2回はこちら)

※ 写真は8月1日に撮影したものです。


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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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はっきり覚えています

千島選手のデビュー戦、いきなりのハードタックル。試合後のインタビューで「どの位でカードが出るのか試してみた」と。
えらい度胸を持った選手が出て来たなあと、期待に胸を膨らませたのを、はっきり覚えています。

これからも、ブログ、メルマガとも楽しみにしております。

Re: はっきり覚えています

H.M様

コメントありがとうございます!
あの試合は鮮烈な印象を残しましたよね。
千島選手は浦和時代に1度、愛媛で1度(正確には2度かも)、大ケガを負ってしまいましたが、それがなければまた違うサッカー人生を歩んだのだろうなと、個人的には思います。
第2回は、メルマガでは8月8日に、当ブログではその数日後にはアップ予定です。
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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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