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人生は上々だ ― かつての『レッズ』に会いに行く 小林陽介(第5回)

(第4回はこちら)


横河武蔵野FCでの1年目、小林陽介はリーグ戦30試合中29試合に出場、12ゴールを記録。
翌2005年も同じく25試合でプレーしたものの、得点は3にとどまる。
3シーズン目となった2006年。
JFLは加盟クラブが2つ増え、18チームへ。前後期合わせて全34節が行なわれ、小林は33試合に出場。
積み上げたゴールは、23にのぼった。
小林はこう振り返る。
「ポジショニング、ゴール前への入り方やシュートの技術というのは良くなったと思います」
そのどれもが、チーム練習後の居残りで試行錯誤しながら磨いていったものだった。

「あとは、それまで以上にガムシャラさがありましたね。『何が何でも』という気持ちが、3年目はすごく強かったです」

3年という時間は、小林にとってひとつの区切りだった。
小林の目標は、もう一度プロサッカー選手になること。一方で、所属する横河武蔵野FCは、プロ化に踏み切るつもりはないようだった。
「もう3年目なのだから」と、わかりやすい結果を出して他のクラブの目に留まらなければという危機感は強かった。時折組まれるJクラブとの練習試合では、JFLの公式戦以上に気負ってしまう部分もあるほどだった。

しかし、33試合23得点という結果を残しても、他のクラブからオファーが来ることはなかった。
そこで小林は、オフシーズンに開催されるJリーグ合同トライアウトへの参加(JFL所属選手も参加可能)をクラブに願い出た。
小林の目標を知るクラブはこれを了承。
年が明け、迎えた2007年1月9日、フクダ電子アリーナでのトライアウトに参加する。

この小林の決断は功を奏した。
トライアウトを終えてまもなくロッソ熊本(当時)から声がかかったのだ。
熊本は、前年の2006シーズンに九州リーグからJFLへ昇格してきたばかりのチームだったが、そのJFL初年度を横河よりひとつ上の5位で終えていた。トライアウトの半年前にあたる2006年の夏には、Jリーグ準加盟の承認も受けている。

小林に示された契約内容は、サッカーをすることでお金が貰えるというものだった。
つまりは、彼が目指していたプロ契約。
「もう1回プロ選手としてサッカーができるということになって、レッズユースからトップに上がったときのような高揚感がありました」
2007年1月末、小林は熊本と契約を結び、プロ選手としての『第二歩』を踏みだすこととなった。


東京都板橋区で生まれ育った小林にとって、生活の拠点を関東圏以外に定めるのははじめてだった。若干だが、不安もあった。
しかし、熊本の人たちは温かかった。
ファン・サポーターとの距離は、浦和や横河在籍時に比べとよほど近いもので、それが心地よくもあった。
たとえばレッズ時代、大宮駅や浦和駅周辺を歩いていても、小林が声を掛けられることはほとんどなかった。選手のプライベートを気遣うべきという認識がファン・サポーターの間に浸透しているためであり、同時に、彼自身の知名度の低さが理由でもあった。ごく希に声を掛けられはしたものの、それは、当時頻繁に行動を共にしていた千島徹の存在によるものだった。
「まず徹君がファンの人に気付かれて、その後に徹君の隣にいるオレも、ついでに気付かれるって感じでしたからねえ」
苦笑しつつ、小林は述懐する。
だが、熊本は違った。
『熊本にJクラブを――』
そういった気運が、当時の熊本の街にはあった。
「だから、その街のスターみたいな感じで扱ってくれるんですよ。街を歩いていて『頑張ってね』と声を掛けてもらえることが多かったです」
3月18日にJFL前期が開幕し、その試合で小林はベンチ入り。3日後の第2節では途中出場でロッソでのデビューを果たす。
その後、試合出場を重ねるにつれ、街角の老若男女からの声援は増していった。
「それが、サッカー選手として、すごく嬉しかったです」と彼は語る。

この熊本での1年目、小林は22試合に出場、5ゴールを記録することになる。
その間、11月11日には、アウェイでFC琉球を4-0と降したことでJ2昇格条件の4位以内を確定させてもいた。
「自分自身の貢献度という点では満足はしてないですけど、ひとつのミッションをみんなで成し遂げた達成感はありました。何が何でもJ2へ上がるって感じがあったので、それが実ったのは嬉しかったです」

小林が4歳上の女性と婚姻届を役所に提出するのは、このFC琉球戦当日の11月11日だ。
小林にとって、ラッキーナンバーは生まれてはじめて付けた背番号である『33』だったが、憧れていたのは少年時代からのヒーロー三浦知良の『11』。横河での3シーズン目には、念願叶ってその番号
を付けてもいる。
これにちなんで11月11日に入籍しようということは、ふたりで話し合って決めたことだった。
沖縄から熊本に戻り、彼らは熊本市役所に駆けつけ、日付が変わる前に何とか届け出を終えている。

妻となった女性とは、横河所属1年目の夏にチームメイトの紹介で出会っていた。3年数カ月の交際期間のうちには、10ヶ月ほどの遠距離恋愛が含まれている。
そのきっかけはもちろん、小林の熊本への移籍だ。
だが、ロッソからのオファーを報告したとき、彼女は反対の色を微塵も見せなかったそうだ。
「もう1度プロになることが自分の目標、夢だってことは知っていたので、すごく喜んでくれました」
照れたそぶりも見せず、そう口にする。
サッカーにつていも同様だが、自分が愛情を注ぐものについて語るときの小林はストレートだ。

ふたりが式を挙げるのは入籍から2ヶ月後の2008年1月。
都内で開かれた宴には、ロアッソ熊本の監督・池谷友良をはじめ、横河時代にお世話になった酒屋の店主夫妻らが主賓として招かれ列席。披露宴での余興と場所を変えての2次会では、横河時代のチームメイトが中心となり、そこにレッズユースの仲間たちが加わって盛大にふたりの門出を祝福した。

(第6回へつづく)


※この原稿はメールマガジン第12号(2013年10月17日配信)から一部を転載したものです。
他のコンテンツは

●大原ノートから 『天皇杯モンテディオ山形戦 再会』

●『WARRIORS IN RED ―リライト』& こぼれ話 堀之内聖
        
などです。
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テーマ:Jリーグ - ジャンル:スポーツ

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プロフィール

小齋秀樹

Author:小齋秀樹
1970年12月18日、宮城県生まれ。仙台第一高校→早稲田大学卒業。
サッカー選手のインタビュー、ノンフィクション執筆をメインに活動するJリーグ登録フリーランスライター。

著書は『goalへ―浦和レッズと小野伸二』(文藝春秋)、『敗戦記』(文藝春秋)。

サッカー専門誌や『web Sportiva』、『Sports Graphic Number』への寄稿のほか、浦和レッズのホームゲームで発行・販売される『オフィシャルマッチデープログラム(MDP)』にて『WARRIORS IN RED』を連載中。

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